博士論文要約(指導学生)

箭内研究室の博士論文の内容を紹介します。論文審査結果報告書の中の主査(箭内)が論文内容の要約を行った部分に基づくもので、当該の博士論文に関する箭内による書評のようなものとお受け止めください(従って、この文章の責任は論文執筆者ではなく、箭内にあります)。

田中理恵子「「生きている」音楽―ハバナにおける「キューバ芸術音楽」の日常経験―」

2019/06/16 0:30 に Tadashi YANAI が投稿   [ 2019/06/16 0:31 に更新しました ]

 田中理恵子氏の論文「「生きている」音楽―ハバナにおける「キューバ芸術音楽」の日常経験―」は、キューバの首都ハバナにおいて芸術音楽の演奏・教育・創造を行う音楽家たちをめぐる、民族誌的フィールドワークに基づく論文である。豊かな民衆音楽の土壌が存在するキューバで、ソ連崩壊以来今日まで続く困難の中、国家に支えられながら芸術音楽を実践しつづけるとはいかなることか。自身が音楽の実践家でもある田中氏は、近年の音楽や芸術に関する人類学的議論の発展を踏まえ、フィールドにおける音・言葉・物事の「響き合い」を敏感に受け止めながら、そうした問題を民族誌的方法によって分厚く論じている。

 「序」においてフィールドワークの概要と論文の基本的方向性が示されたあと、第1章では、本論文全体の理論的視座が示される。そこで俎上に載せられるのは、一方ではラテンアメリカの文化や芸術における「非本質的な模倣」(N. ガルシア=カンクリーニ)や「流用」(A. シュナイダー)の概念であり、他方ではM. シェーファーのサウンドスケープ論、および、S. フェルド、H. ベッカー、A. エニオンらによる音楽や芸術に関する人類学的・社会学的議論であり、さらに、T. インゴルドの「変換」と「永続」の概念である

続く二章は歴史的・社会的背景の検討に充てられる。第2章では、キューバ芸術音楽がキューバの歴史の中で担ってきた役割、また、それが今日のキューバ社会において占める位置が考察される。第3章では、米国との関係——ないし「外との関係」——という、キューバの人々にとって特別な重要性を持ってきたテーマが検討される。以上を土台として、第4章以降、ハバナにおける芸術音楽家の営みに焦点を当てた、民族誌的議論の核心部分に入る。

 第4章のテーマは、音楽家の活動の核心にある楽器との関係である。そこで強調されるのは、まずは、模索の中で楽器との共同的関係を形成し、一種の均衡的関係のもとで楽器と一体化していくことである。しかしより高次の活動においては、音楽家が逆に均衡を失って「楽器に憑かれる」一方、使えなくなった楽器には意外なほど冷淡であるなど、音楽家と楽器の関係は、楽器の「外部」性を改めて受け止めた、複雑で多重的なものになってゆく。

第5章では、昼は芸術音楽を、夜はアフロ・キューバ音楽を演奏する等といった、ハバナの音楽家たちのジャンルを超えた営みが検討される。彼らはどの場所でどんな音楽を演奏すべきかを意識して即座にジャンルを切り替えるのだが、音楽家たちの言動を詳細に検討することで理解されるのは、楽器との関係に見られたのにも似た、外部性を孕み多重性を含んだジャンルとの関係である。

 第6章ではオーケストラの集団的な営みに焦点が当てられる。国立交響楽団の歴史的背景や活動の実際が描かれたあと、演奏会に向けたリハーサルの様子が具体的に検討される。その中で、音楽家たちが自分の音への制御を失いながら、オーケストラによってしか鳴らない音を生み出してゆくこと、さらに、ハバナの芸術音楽家たちが自分の音の「外」に出ることで引き起こされる感動をとりわけ大事にしていることが論じられる。

 第7章では、ハバナにおける芸術音楽の営みと、それを取り囲むハバナの日常生活との関係が論じられる。音楽家たちは、政府によって与えられてきた特権的な地位が不安定となり、音楽を続けるための環境も劣化していると感じている。しかし彼らは、「どのような状況でも音楽を止めてはいけない」という演奏上のルールを守るかのように、国外に出るという選択肢を取らず、キューバで「キューバ音楽」を担いつづける。そうした営みは、キューバの「外」に暮らす親族や知人の生活を想像しつつ、老朽化した建物、凸凹の道路、衛生上問題のある水などと日々向き合いながらハバナで生きつづける人々全体の経験と確かに呼応するものである。論文末尾の「結」の部分では、本論文全体の議論が、異質性と同質性を同時に内包するような主体化のあり方の問題と通じていること、またそこに「感動」の問題が関わっていることが強調され、論文が閉じられる。

 このような内容を持つ本論文の大きな意義はまず、キューバ芸術音楽という人類学にとって新規性のある対象に真正面から向き合い、豊かな内容の民族誌記述を成し遂げた点にあるが、それだけではない。ハバナの芸術音楽家たちが日常経験を彼らの身体において「聴く」中でその音楽を創っている、という基本的事実を深く受け止めながら、音楽家の生の多様な層を横断しつつ全体を描くという、本論文で田中氏が用いた民族誌的アプローチ自体が新しいものである。田中氏はこの企ての中で、キューバ芸術音楽の営みを、音楽の問題領域と社会・文化的な問題領域のどちらに引き込むこともせず、むしろ一貫して両者を重ね合わせながら論じるという、独創的な人類学的考察のスタイルを確立している。

宇田川彩「アルゼンチンの世俗的ユダヤ人における生と探求」

2019/01/13 17:43 に Tadashi YANAI が投稿   [ 2019/01/13 17:47 に更新しました ]

 宇田川彩氏の論文「アルゼンチンの世俗的ユダヤ人における生と探求」は、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスを拠点とする著者の民族誌的フィールドワークの成果を、調査対象の人々との自らの濃密な交流の経験を深く踏まえた形で、人類学的論文として結晶化させたものである。ユダヤ的伝統を背負いつつも正統的ユダヤ教に踏み込むことを避ける「世俗的ユダヤ人」の生とはいかなるものか。それは書物の重視やディアスポラといったユダヤ的主題とどのように関わるのか。宇田川氏は現地の人々の、時に矛盾を孕んだ入り組んだ営みを素直に受け止めたうえで、それを家・記憶・探求の人類学的問題と結びつけ、民族誌描写と人類学的考察を重ね合わせながら本論文を構成している。
 「はじめに」でいくつかの印象的な事例が述べられたあと、序論の前半部では、本論文の理論的骨格が先行研究を踏まえつつ提示される。宇田川氏によれば、追放と再定住の繰り返しという歴史的背景を持つユダヤ人の生は、〈家〉という環境における営み、その内外で想起される様々な〈記憶〉、そうした生のただ中に潜在する(ユダヤ的な)生とは何かという〈探求〉の、三つの問題性と特に関連するものである。そのあと序論の後半部でフィールドワークの概要が説明され、また、この調査で特に現地の人々と一緒に書物を読むことが重要であったことが述べられる。続く第1章では19世紀以来のアルゼンチンのユダヤ人の歴史が概観される。主として東欧からやってきた彼らは、一方でアルゼンチン的な生のあり方に深く溶け込みつつも、他方では独自の相互扶助団体や社交スポーツクラブなどを形成していった。1980年代の民政移管の時代以降になると、多文化主義の広がりのもとでユダヤ性が改めて強調され、正統派ユダヤ教の影響力も目につくようになる。とはいえ、彼らの間の多数派は、この正統派から一定の距離を保とうとする「世俗的」と形容される人々であり、本論文の対象である人々もこのカテゴリーに属するものである。
 以上の準備のもと、第2章では食、第3章では儀礼に焦点が当てられて、世俗的ユダヤ人たちの家庭生活が描写される。第2章の描写にあるとおり、彼らの日常的な食生活は多分にアルゼンチン的であり、彼らはユダヤ法の細かい食餌規定を守ろうとはしない。しかし彼らはユダヤ暦に従って伝統的な食べ物を味わうことも大いに重んじ、実際そうした感覚的経験こそ、彼らにとって、ユダヤ的なものの核心をなすものである。第3章では、家庭内の年中行事として最重要のものの一つである、過ぎ越し祭の儀礼が取り上げられる。この儀礼はハガダーという典礼書を読み上げ、問答や反復を含んだ様々な歌を歌いながら行われるものだが、世俗的ユダヤ人たちはその際、状況に応じて朗読や問答をごく自然に端折っていったりする。これを伝統の否定ないし軽視と考えるのは必ずしも適切ではない。そもそもユダヤ教においては、法的規範と並んで各々の家庭での習慣が重視されてきたからである。世俗的ユダヤ人のもとでは、ハガダーの問答が表現する聖書の出エジプトの解放の物語も独特の形で理解されている。それは神による奇跡の物語ではなく、自らの手で自由を獲得する物語として、大きな共感とともに受け止められるのである。
 人々の現在の生活に関する以上の考察の後、第4章と第5章では、人々が過去と向き合う仕方、つまり記憶やアーカイブの問題が論じられる。第4章では、家族写真や個人的書類等といった様々なモノをめぐる人々の語りが考察対象となるが、この語りの顕著な特徴の一つは、それがアルゼンチンへの移住以前にはほとんど遡らないことである。こうした故地の忘却——および、現在の生活をどこか偶発性を孕んだものと見なす仕方——は、本質的には、ユダヤ人にとって起源とはいつも「ある場所から出る」ことだったという事情が関係していると考えられる。第5章ではアルゼンチンのユダヤ系移民の集合的歴史に関するアーカイブに焦点が当てられる。ブエノスアイレスのユダヤ相互扶助協会(AMIA)に置かれてきたこのアーカイブは、1994年にAMIAの建物を襲った爆破テロにより大部分が破壊されてしまう。灰燼の中からアーカイブを「救出」した人々の間の語りのずれ——この悲劇はユダヤ人のものなのか、それともアルゼンチン社会のものなのか——はとりもなおさず、現代の世俗的ユダヤ人における「ユダヤ」と「アルゼンチン」の複雑な絡み合いを示すものである。
 ユダヤ人として生きるとはいかなることか。世俗的ユダヤ人におけるこの根本的な問いとそれをめぐる探求は、以上の諸章にも通底するものだが、本論文の最後の二章では、「集いの幕屋」というグループの事例を通じて、そうした探求の一つの極限的な現れが論じられる。この小規模グループの人々——中には非ユダヤ人も含まれる——は、ダビッドという名のラビのもとに集まり、一方でユダヤ教の伝統に深く基づきつつ、他方でそれを根本的に組み替えてしまったような営みに加わるのである。そこでは、グループの人々は家からも記憶からも自由になるように促され、ユダヤ人であるという変更不可能にみえたアイデンティティさえ非本質化される。さらには書物という、ユダヤ人が背負うべきとされてきたものが「捧げ物」とみなされて池に投じられ、人々は書物の重さから自由になり、身軽になる。この事例は、アルゼンチンの世俗的ユダヤ人の生と探求の姿を、逆説的ともいえる形で、鮮やかに浮き彫りにするのである。

里見龍樹「ソロモン諸島マライタ島北部のアシ/ラウにおける「海に住まうこと」の現在:別様でありうる生の民族誌」

2015/02/09 19:55 に Tadashi YANAI が投稿   [ 2019/01/14 17:56 に更新しました ]

 里見龍樹氏の論文、「ソロモン諸島マライタ島北部のアシ/ラウにおける「海に住まうこと」の現在:別様でありうる生の民族誌」は、ソロモン諸島マライタ島で行われた民族誌的フィールドワークを背景に、珊瑚礁上に作られた人工の島々と本島のあいだで営まれてきたアシ(ないしラウ)の人々の生を主題として書かれた論文である。

 移住と人工島群の歴史、葬制と親族関係、キリスト教受容、漁業、農耕、マーシナ・ルールと呼ばれる歴史的な社会運動——本論文で扱われる一連のテーマは、アシの人々が今日生きる現実を忠実に受け止めて立てられ、先行研究との対話の中で深化されたものであり、その意味でこれは「オーソドックスな」とも形容しうる民族誌的な論文である。しかし同時にこの論文は、M・ストラザーン、E・ヴィヴェイロス・デ・カストロらの著作に触発された、近年の人類学理論の「存在論的」な再構築に深いレベルから反応する実験性を孕んだ試みであり、研究対象を同一性の中に回収した上で議論するという民族誌的・人類学的研究の基本的手続き自体と戦い、アシの人々の生の揺れをそのまま「ぶれたポートレート」として捉えようとする野心的な企てである。偶有性の概念が、この企ての中心に位置づけられ、本論文で繰り返し言及されることになる。

1章では、アシの人々が、珊瑚礁の海に人工島を造って移り住むという独特の「海に住まう」仕方を実践してきた一方、現状ではその多くがマライタ本島に移り住んできており、さらに奇妙なことに、そうした現在の生活をも否定して「山に戻る」ことが望ましいと語る様子が示される。アシの人々の生のこうした不安定な位置取りは、論文全体の基本的なトーンを定めるものとなる。続く第2章では、一連の移住をめぐる人々の伝承が細かく検討される中、「土地と人々の本源的な結びつき」というメラネシア諸社会のステレオタイプとは裏腹に、アシの人々がごく偶発的な契機に基づいて島を造り、その偶発的に生まれた島々が永続性を獲得していく状況が描かれる。

 第3章では、アシの親族関係をめぐるテーマが、島々の間で死者の頭蓋骨を(時に山積みにして)運んでゆくアシの葬制に焦点化した形で論じられる。オーストロネシア語圏の人類学がこうした葬制をとりわけ「死者の集合化」という観点から論じてきたのに対し、里見氏は女性の死者の扱いに注目しつつ、そこに「死者の集合性」と「個別性」が逆説的な形で併存していることを鋭く指摘する。続く第4章では、今日キリスト教徒となっているアシの人々の生の傍らで、キリスト教受容以前の「カストム」がひそかに蠢き、それを人々自身も意識している様子が描かれ、さらにそうした状況が、海に点在する人工島の物質的形象とも結びついていることが論じられる。

 第5章では、アシの基本的生業である漁撈が取り上げられ、GPS端末の利用を含んだ多様な調査手法によるデータに依拠しつつ、人々の実践が「伝統的な資源保全倫理とその崩壊」といった二項対立には還元しえない、本質的に非決定的な振幅の中にあることが示される。続く第6章ではアシの自給的農耕が扱われるが、そこで里見氏が強調するのは、耕地と休耕地という(人間中心的な)区分の彼方に、放っておけばすぐに草木が勢いよく生い茂ってくるという「自然」の旺盛な力が存在しており、彼らの農耕はそうした「自然」との直接的関係の中でのみ理解しうる、ということである。そしてこの人間を超えた「自然」の力こそ、(論文全体の主題たる)アシの生の偶有性の背後にあるものに他ならない。

 終章では、1940年代後半にマライタ島で展開された社会運動であるマーシナ・ルールの記憶が取り上げられる。というのは、人々がこの運動において、普段の生活様式とは全く異質の、集合的な居住や労働のあり方を一気に創出し実現した記憶は、その後も彼ら自身の中に存在し続け、彼らに別様の生の可能性を絶えず指し示し、時にそうした可能性を部分的に現実化させてきたからである。人々の語りを素直に読み取るなら、そうした別様の生は、普段の生活様式と必ずしも対立するものではなく、何かの拍子に飛び出してきて、戸惑いや驚きとともに経験されるものである。

 こうした内容を持つ本論文は、次のような点で高い学術的評価に値する。第一に本論文は、曖昧さに満ちたアシの人々の生を厳密に記述して高い民族誌学的価値を持つと同時に、先行研究の成果を十分に踏まえつつ、それらを独自の視点から揺り動かして各章の議論を発展させることにより、メラネシア人類学に対して重要な貢献をなすものである。第二に里見氏は、同一化に抗する透徹した思考を論文全体で貫くことにより、この論文を「存在論」についての論文ではなく、論文自体を存在論的な企てとして書くことに成功している。フィールドワークにおける自身の一瞬のイメージ、戸惑い、驚きの経験を大事にしつつ、民族誌的事実を丁寧に拾い上げて緻密に組み合わせながら、一連の入れ子を開くように論じていくスタイルは、確かに、里見氏が控えめに言及しているW・ベンヤミンの哲学とも深く通じたものである。

土井清美「サンティアゴ・デ・コンポステラへの徒歩の旅に関する民族誌的研究―「あいだ」における生―」

2015/02/09 19:48 に Tadashi YANAI が投稿   [ 2019/01/14 17:56 に更新しました ]

 土井清美氏の論文、「サンティアゴ・デ・コンポステラへの徒歩の旅に関する民族誌的研究―「あいだ」における生―」は、スペイン北西部に位置する著名な巡礼地に向かって徒歩で旅する人々の生についての、緻密な民族誌的記述であり、同時に理論的考察である。数十キロ、数百キロという距離を繰り返し徒歩巡礼者たちとともに実際に歩き、巡礼者用宿泊施設のボランティアも行うなど、徹底的な参与観察を続けるなかで土井氏が見いだしたのは、「巡礼者」という一語では決して括れない人々の多様な姿であり、また彼らが巡礼路上で新たに発見していく生の意味であった。

 論文の最初に提示されるのは、近年ますます盛んになりつつあるサンティアゴへの徒歩巡礼が必ずしも宗教的動機に基づくものでないばかりか、ひたすら「決まった方向に向かって歩く」なかで、巡礼者にとってサンティアゴに着くという目的すらしばしば明瞭でなくなるという状況である。それを受けて序章では、本論文が巡礼の一事例研究というより、巡礼・ツーリズム・旅の間にあるような曖昧な領域を取り扱うものであること、さらに徒歩や場所についての人類学的考察、フィールドワークと民族誌記述との関係に関する根源的な省察とより深く関わってゆくものであることが論じられ、本論文の議論の領域画定がなされる。

 第1章では、巡礼者向けガイドブックを幾分真似つつ、読者を巡礼路に誘い込むような形でサンティアゴ巡礼についての基本的な情報が提示され、続く第2章では、路上の徒歩巡礼者たちが毎日繰り返していく経験の類型的な描写がなされる。毎日は似たような繰り返しだが、その中でも様々な場所が識別され、また歩いてゆくうちに巡礼者自身の身体にも変化が生じてくる。そこにあるのは、「繰り返しによる発見的移調」であり、また「場所と身体の交わり」である。

 第3章では、徒歩巡礼という行為と表裏一体のものとしての苦痛の問題が論じられる。「苦痛なくして得るものなし」とは巡礼路でしばしば見かける言葉だが、土井氏はジル・ドゥルーズのマゾヒズム論を参照しつつ、まさに苦痛を通して巡礼者にとっての新たな経験の相が現出してくること、その中で巡礼という行為の目的性やそれを取り巻く制度の意味が骨抜きにされることを、様々な事例とともに示してゆく。ここで前面に出てくるのは「途上」であり、それに対して「目的地」のサンティアゴ大聖堂への到達は、しばしば、どこか拍子抜けした「中断」のようなものとして経験される(が、その「中断」ゆえに人々は再び巡礼路に戻ってくる)のである。続く第4章では、そうした途上において、人々が歩きながら巡礼路上の事物に対してとりもつ関係としての、「ウォークスケープ」に焦点が当てられる。それは一方で巡礼者が建築物や巡礼路上のランドマークと営む関係であるが、他方では、道に迷うこと、「道を見失う」こと(自分自身と周囲との関係が途切れること)であったり、さらに、路上で現れた犬との出会いがしばしば奇妙に重要な意味を持つことであったりする。

「遠近感とリズム」と題された第5章では、上述の「途上」での生の問題が、より広い視野から捉え返されつつ、巡礼者同士の、必ずしも言葉を介さない通じ合いや、巡礼路に介入する他者(マスメディアや調査者)とのズレが示される(徒歩者=調査者であった土井氏自身の営みもそこに位置づけられることになる)。そこではまた、「近さ」と「遠さ」の間で進む徒歩巡礼者の身体経験から直接出てくるような「アウラなき顕現」が指摘され、この「巡礼」が持つある種の宗教的意味が示唆される。「ホーム」と題された第6章では、徒歩巡礼者たちの、途上に在ることとその外に在ることとの関係、彼らの「住まいつつさすらうこと」(ウーテ・グッツォーニ)が、サンティアゴ巡礼路との深い関わりの中で生きてきた人々の具体的な生のあり方に即して論じられる。そして終章では、サンティアゴ徒歩巡礼を扱いつつ本論文が議論してきたことの、人類学一般に向けての意義、フィールドワーク論としての意義が問い直され、最後に、徒歩巡礼という行為が帯びているロマン主義的なものの意味について考察がなされる。

 こうした内容をもつ本論文は、長距離を歩き続けながらの辛抱強い参与観察によってのみ得られるような視点から、サンティアゴ徒歩巡礼を単なる研究対象として論じるのではなく、むしろ「歩くこと」「途上にあること」という経験のただ中からそれを論じた独創的なものである。それがさらに、フィールドワーカー=徒歩者という位置から人類学的思考のあり方そのものを問い直すという反省的考察と絶えず重ね合わされていることも本論文の特色である。他方、狭義の巡礼研究から自由になった視点から多様な形で得られた民族誌的データは、サンティアゴ巡礼路を歩く人々の経験の「現在」を、総体として今日的かつ豊かな形で伝えるものであり、民族誌的観点からも大変重要な意義を持っている。

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