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3章 祈りと生け贄: 想起から力へ

2012/04/20 6:18 に Tadashi YANAI が投稿   [ 2012/04/20 6:18 に更新しました ]
「想起の原理」の意味するところをさらに具体的にみるためには、儀礼体系について詳しく検討する必要がある。なぜなら、儀礼集会カマリクンを始めとする彼らの一連の儀礼こそ、天上的秩序の最も忠実な模倣の行為だからであり、「身体全てをもって、そして宇宙全体との関わりにおいて天上界の秩序を反復する」(2.2.3.2.)行為は、その中に最も明瞭な形で現れるからである。これが、この章で儀礼体系について詳細に論じる第一の理由である。こうした儀礼体系についての検討は、しかし同時に、2.4.4.で現れたピジャンあるいは祖霊の問題を再浮上させることになるであろう。つまり、彼らの儀礼の細部を検討してゆくと、そこに、天上界を中心にして組み立てられている「想起の原理」によっては必ずしも割り切ることのできないような、ピジャンあるいは祖霊といった地上的存在を中心とする実践の体系が存在していることを認めざるをえなくなってくるのである。そこで、この章の後半では、ピジャンあるいは祖霊に主に言及する一連の儀礼を取りあげつつ、「マプーチェ的なハビトゥス」を構成する第二の下位ハビトゥスであるところの、「力の原理」に基づくハビトゥスの内的構造に接近してゆくことになる。

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(...) カマリクンが何にも増して「想起」の儀礼であることに疑いはない。既に述べたように、カマリクンはマプーチェの儀礼体系の頂点に位置する儀礼であり、前節で論じた、マプーチェの儀礼体系の基調をなす5つの基本的理念・8つの儀礼的動作・3つの運動感覚的イメージは、この儀礼の隅々にまで浸透している(この点は、3.2.3.の記述の中では、スペース上の制約からそのほんの一部しか示すことができなかった。より詳しくは付録1を参照のこと)。カマリクンに参加する者はみな、これらのものを、3日間の儀礼の期間中に、繰り返し繰り返し、全身体をもって経験することになる。厳密に言えば、「3日間の期間中に」という表現は正確ではない。儀礼の前日、前々日には告知儀礼があるし、儀礼の準備として「ピジャンの草原」で何度も開かれる集会も、ニヤトゥンこそ行わないものの、人々はカマリクンと同じような出で立ちで集合し、ヌツァムカンを繰り広げるのであって、そこにはカマリクンを彷彿させる儀礼的雰囲気が濃厚に漂っている。さらに、カマリクンの諸テーマは、「事を起こすこと」が公にされてからカマリクン当日までの数カ月間、人々の日常生活の中にも侵入してくる。直前の1ヶ月ともなれば、人々の頭の中はほとんどカマリクンのことで一杯だと言っても過言ではなく、昼間の会話の話題はいつもカマリクンに収斂してゆくし、夜間に見た夢もまた、多くの場合、来るべきカマリクンと関連づけた形で解釈されるのである。ふだんマプの中にばらばらに散らばって居住するマプーチェの人々は、このようにして、意識と無意識の両方のレベルで、次第にカマリクンに向かって皆で心を一つにしてゆき、最後に、カマリクンの場において、3日間の共同的な「想起」を行うのである。

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これまで、マプーチェの儀礼体系を「想起の原理」に従い、至高神中心の視点から見てきた。しかし、カマリクンの両義性は、ある意味で、再びコペルニクス的に視野を逆転し、より地上的な存在である祖霊の視点から全体を眺めてみることを要請するものである。そしてこれは、マプーチェの儀礼体系のカマリクン以外の部分を検討することによって、さらに明確になってくることでもある。この節では、葬礼、コナニヤトゥン、そしてマチとカルク(妖術師)の実践について簡単に検討し、そうした中で次第に、「マプーチェ的なハビトゥス」の第二の下位ハビトゥスを構成するところの「力の原理」を析出させてゆく。

(...) カマリクンの中で行われるかなりの儀礼的行為は、祖霊あるいはピジャンに対して供物と祈りを捧げる行為として解釈されうるものである。そして、このようにしてみれば、「慰霊祭はカマリクンのようなもの」というコメント(cf.3.3.1.)や、「マチの祭壇更新祭はカマリクンのようなもの」というコメント(cf.3.3.3.1.)は、ほとんど文字どおりに受けとることができるものになるのであり、さらに一歩進めば、カマリクンは集団的な形で「精霊との取引」を行うものだ、という、人々が決して容認しないような結論にも到達しうることになる。

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「力の原理」は、少なくとも今日のマプーチェの人々にとっては、「想起の原理」の背後に、いわば抑圧された形で存在している原理であって、彼らはなかなか正面からこれについて語ったり思考したりすることがない。それゆえ、この原理について、「想起の原理」に関して行ったように、それが内包する存在論的原理を、人々の言説だけから抽出してゆくことは困難である。そこでここでは、今日のカラフケン湖西北部地域のコンテクストを離れ、時間的・空間的により広い視野から、「力」の問題を眺めてみることにする。

(...) ブラジル北部のトゥピ系アラウェテ族の宇宙観(とりわけ死生観)に関するV=ジ=カストロの研究は、南米先住民社会における食人の問題に全く新しい展望を開いたものであった。 アラウェテの人々によれば、人間は死後、天上的霊魂と地上的霊魂と死体の三つの部分に分解するのであるが、このうち天上的霊魂は天上界に向かい、マイ(Mai)と呼ばれる神格のグループに最終的に統合されることになっている。ここで特に注目されるのは、死者の霊魂がマイに変わるプロセスである。死者は、天上界に入る時、天上界に既に住んでいるマイたちによって殺され、食べられなければならない。そのあと、残った骨から死者はシャーマニズム的な力によって甦らされ、さらに泉の水中を潜り、皮膚を取り替えて、若く、強く、美しく変貌することになる。死者は、こうして生まれ変わってはじめてマイの仲間入りをすることができ、別のマイと結婚して、天上界での新たな生活を営むようになるとアラウェテの人々は考える。こうしてV=ジ=カストロは、マイとはアラウェテにとって、「食人的神(os deuses canibais)」であると同時に人間の将来の姿でもあると述べる。そして彼は、アラウェテ的な存在のあり方とは、自己の同一性を「他者になること(devir outro)」に求めてゆくものであるとし、この思考様式を、「食人的コギト o cogito canibal」と呼んでいる。

(...) V=ジ=カストロは、「他者になること」を根本原理とするアラウェテの食人的コギトについて、「『自己』-『他者』の配置における反響関係は『同一性』への固着化を妨げるものである (A reverberacao do agenciamento "Eu"-"Outro" impede uma fixacao de "identidades")」と述べている。実際、この思考様式に従えば、自己にとって、マイとは「自己の敵(¬自己)」であると同時に「未来において自己が『なる』べきもの」でもあるのであって、この「自己—›¬自己」とでも表現しうるような関係は、この原理に基づく社会的実践を単純な同一性原理に還元することを不可能にするだろう。(...) マプーチェの「力の原理」についても、根本的には同じことが言えることになる。従って問題は、「自己—›¬自己」が、いかなる条件のもとで同一性原理「A=A」としての役割を果たし、またいかなる条件のもとでそれと矛盾する役割を果たすか、ということである。

(...) 「想起の原理」の中では、「地上界は、つねに天上界を模倣しつつも、それに『なる』ことができない」のであって、それはいわば「不完全にしか実現されない『A=A』」である。ところで、「力の原理」の根本にある「自己—›¬自己」を地上界と天上界の関係に当てはめるならば、これと見事な対照をなす定式ができあがる。つまり、この食人的コギトの中では、「地上界(より正確にはそこに住む人間)は、現在においては天上界と敵対するが、未来においてはそれに『なる』ことができるもの」なのである。「想起の原理」にならって天上界の秩序をAとするならば、現在においてそれと敵対する地上界の人間は¬Aとなるから、食人的コギトは「¬A—›A」と書き表すことができるであろう。ここにおいて我々は、食人的コギトがいかなる意味で同一性原理と関わるのかを理解することができる。「不完全にしか実現されない『A=A』」たる「想起の原理」と対照させて言うならば、食人的コギトとは、「未だ実現されていない『A=A』」である。それは未来において実現されるべきもの(『¬A』)であるという意味で、同一化の働きをもつものであるが、しかし現在における矛盾に基づく(¬A)という意味では、パラドクシカルな同一性原理であるといえる。

(...) 「他者になること」から力を獲得しようとするこの原理[「力の原理」]は、「他者」が天上界の霊的存在を意味する限りにおいて、同一性原理として機能することができる。しかし、この原理の興味深い点は、この「他者」の中に、しばしば霊的存在以外のものが含まれてしまうことである。それゆえ、天上界の秩序の模倣を永遠に不変な形で行おうとする、いわば時間の外側にある「想起の原理」とは対照的に、「力の原理」は、天上界の秩序と共にそれ以外のもの(例えばスペインの文化要素)をも模倣させてしまう可能性をつねにはらんだものであり、それは時間の内側に位置する原理であるといえる。二つの原理は、一部において重なり合いながら、他の場所においては鋭く対立するものであり、筆者の立場から言えば、(少なくとも)16世紀から今日までのマプーチェの社会的実践は、非常に大まかにいうなら、この二つの原理の相互関係の中で営まれてきたと考えられるのである。
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