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「イメージの人類学のための理論的素描」(2008)

2012/03/10 21:21 に ユーザー不明 が投稿   [ 2018/04/28 18:34 に Tadashi YANAI さんが更新しました ]
  *論文はこちら。 →なお、この論文は映像人類学・民族誌映画を対象に、一種の小手調べとして、イメージの人類学のいわば「特殊理論」を展開したものです。その背景にあったのは、イメージの概念を土台に人類学の全体を新たな角度から見据える、イメージの人類学の「一般理論」の樹立という大きなプロジェクトでした。こちらは単行本『イメージの人類学』(せりか書房、2018年)で実現しています。(2018.4.29 追記)
  • フィールドワーク初期の人類学者にとって、多くの事物は不確実な形でしか既知の「かたち」と結びつけられないものであり、時に 「かたちをもたない」イメージでもある。経験の蓄積の中で、人類学者は自らを取り囲むイメージをしだいにより安定した「言語・記号システム」(現地のそ れ、自言語等のそれおよび分析上のそれ)と関係付けてゆくが、しかしそこで対象が生き生きとした形で捉え続けられている限り、「かたちをもたない」イメージの次元は消えないだろう。
  • 民族誌映像とは一体何だろうか。第一にそれは、撮影者の意図(「何を撮るか」)のもとで制作される以上、基本的には「かたちをもつ」イメージである。しかし同時に、一般に映像というものは、ジョン・バージャーの言葉を借りて言えば「意図性において弱い」、「意味において弱い」ものであり 、だからある部分不定形で、多様な解釈を許容するものでもある。究極的に言えば、民族誌映像自体は、「かたちをもつ」「かたちをもたない」という区別が未決定な状態でフィールドの「イメージ」を提示するものである。
  • 第二に、民族誌映像は、撮影者のフィールドでの知覚そのものを記録したものではなく、カメラという機械により一定の撮影条件下でそれを記録したものである。それは一方で撮影者の知覚を反映しつつも、他方で撮影者の知覚から外れたものをも必然的に含むのであり、だからこそ我々は自らが撮った写真にえてして意外なものを見出し、驚くのである。民族誌映像とはつまり、撮影者の「人称的な」視覚とカメラの「非人称的な」視覚とが曖昧な形で共存したものである 。
  • 第三に、民族誌映像(特に民族誌写真)は、「非人称的なもの」を含んだイメージであるにも関わらず、フィールドを離れた人類学者にとって自らの「フィールド経験」の記憶の重要な結節点となるのであり、そのような形で、人類学者の言葉による研究実践にも秘かに影響を与えてゆくものである。19世紀末から今日まで、民族誌映像は(その学問的可能性を抑圧されつつも)暗黙のうちに人類学的実践の全体と関わってきたのであり、人類学者が自らの内なるイメージ記憶と写真(後には映像一般)との間で営んできた関係は、人類学的思考の(大部分は)非反省的な、しかし重要な一部分を構成してきたのである。その意味では、すべての人類学者は――常に・既に――映像人類学者だったと言えるだろう。
  • マリノフスキーは、フラハティと並ぶ映像人類学の創始者と呼びうるかもしれない。当時の非常に困難な撮影条件(重て扱いにくい機材、長い露出時間、熱帯特有の湿度…)のもと、彼はトロブリアンドで大変な時間と費用と労力をかけ、綿密な撮影プランを立てつつ1000枚以上の写真を撮影する。それらの写真は、彼の民族誌的著作の中にきわめて豊富に(『遠洋航海者』には75枚、『未開人の性生活』には92枚、『珊瑚礁の菜園と呪術』では116枚)収められているが、それだけではない。E・サマンが例証したように、彼の民族誌は、写真と本文との間の頻繁な相互参照を通じてイメージのレベルと(それ自体が視覚的イメージに富んだ)文章のレベルが読者の頭の中で並行して発展してゆくよう注意深く編まれており、それは今日のハイパーテクストの先駈けでさえある。確かに彼は、映像を用いて民族誌的対象を捉え、映像を用いて自らの研究成果を表現するという明瞭な意図を持っていた人であった
  • ベイトソンの人類学的思考は、マリノフスキーに劣らず映像と深く関わるものであった。「結晶の構造と社会の構造とに同じ法則が支配しているかもしれない」と考え、レベルの異なる対象間で視点移動することを身上とした彼の思考スタイル自体、ショットサイズを変えて様々な大きさの事物を同列に置くことのできる映像メディアと本質的に親和的なものだっただろう。具体的にも、彼はバリ島で、イアトムルの「分裂生成的シークェンス」を念頭に置きつつ(ロールフィルムを積んだライカで可能な)連続写真や映画カメラによる撮影を大量に行ったが、彼が撮影したのはまさにシークエンスショットであった 。ライカのカメラでは、カメラを大きく寄せて被写体の一瞬の表情を捉えることが可能だが、これも彼がこだわった文化の「手ざわり」を考える上で大きな助けになったと思われる。
  • 『ブラジルへの郷愁』の一連の写真で特に印象的なのは、ライカを手にした「写真家レヴィ=ストロース」の視点の自由さである。マリノフスキー的ロングショットとは無縁のクローズアップ写真。ベイトソン的連続写真とは全く無縁の形で被写体のアクチュアリティを鋭く切り取ろうとするキャンディッド写真(ナンビクワラの一連のスナップ写真はその白眉である) 。狭義での人類学的関心から自由になり、むしろ芸術的性質を身に纏ったようなこれらの写真は、記述的な民族学的論文「ナンビクワラの家族・社会生活」の中ではいかにも座りがわるいが、人類学と文学とが不可分に融合した『悲しき熱帯』の中では本文と見事に一つの全体をなしている。
  • 要約すれば、民族誌映像とは、撮影者の「人称的」視線の完全な支配下にあるのではなく、むしろ被写体の身体の無言の影響力を受け(モンダダ)、時には撮影者をある部分素通りして被写体自身の関心をほとんど直接的に反映し(オロビッチ)、それゆえ、人々の内面にあるイメージ的思考のほとんど直接的な表出(ワースとアデア)とも連続線上にあるものなのだ。(...) 民族誌映像の制作においては、撮影者も被写体も、ある「動き」の中にあるのであり、民族誌映像とはそういった流動する現実の中 で、撮影者と被写体が相互に影響しあい、ある部分両者の意図が識別不能になりつつ、制作されるものなのである。(...) こうした相互影響の関係は今日しばしば「共同制作」と呼ばれるが、そこに主体間の意識的な協力関係以前の抜き差しならない関係が含まれていることは見落と せない。それはドゥルーズのいう、本来無関係な物同士の同時的な生成(devenir, becoming)とみることもできる。
  • アクションを全体として捉えるフラハティのショットはマリノフスキーのロングショットに似ているし、また周囲の事物との関係の中で人間的ドラマを展開するフラハティの映画的語りは、機能主義のそれに似ていなくもない。こうしたことは、フラハティがマリノフスキーと同様にフィールドの現実を熟知していたこととも無関係ではないだろう。しかし、両者の類似点はそこまでである。アザラシ狩りのショットのような全体志向的なショットをカット編集に組み入れつつ、映像の具体性の中で「全体」を表現しようとし たフラハティの手続きは、言葉の抽象能力を利用したマリノフスキーの手続きとは異質なものである。そして、フラハティがそこで表現した「全体」とは、マリノフスキーのそれのような客観主義的な分析の中で想定される「社会構造の明瞭で確実な輪郭」ではなく、むしろ撮影者と被撮影者が不可分になり、客観的現実 と主観的現実が不可分になるような瞬間に忽然と、「認識と同時に啓示でもある」ものとして現出してくる特別な「全体」であった。
  • 人類学から見た「映画=トランス」の意味は何だろうか。第一に、それは被写体の現実の直接的な「憑依」によって生まれるがゆえに、人類学者の思考が持ち込みがちな西欧/非西欧、伝統/近代といった区別を最初から越えたものである。例えば《狂気の主人たち》は、「ハウカ」(ハウサ語で「狂気」を意味する)という、植民地を支配する白人がもたらした事物の憑依霊が人々に憑く様子をカメラに収める。ルーシュはこの強烈に伝統的でありながら同時に強烈に近代的でもある現実を、それをどう人類学的に言語化=カテゴリー化するか苦慮することなく、ただそれによって「憑依」されつつそのままフィルムに焼き付けたのである。第二に、「映画=トランス」は客観的現実と主観的現実の区別を越えたものである。例えば《私は黒人》や《ジャガー》のオフ・ナレーションを任された登場人物たちは、客観的説明を最初から放棄して自由に語り始めるが、しかしそのようにして、彼らの主観的現実が客観的に観察可能な形で提示される、という新しい状況が生まれる。映画作家としてのルーシュは、演出による劇映画をも撮っているが、「映画=トランス」にとって、フィクションであっても、もしそれが撮影時の被写体とカメラと撮影者の直接的な交流を失わないならば、それはある種の民族誌的ドキュメントなのであり、ルーシュのいう「映画=人類学」(ciné-anthropologie)の一部を構成するものなのだ。
  • なぜガードナーは、こうした超=人間的なショットを多用するのだろうか。それは彼にとっての人類学が、社会文化的システムの客観主義的研究ではなく、「人間的現実をその本質が顕わになるように捉えること」であり、カメラは、その「人間的現実」が深く根ざすところの物質性を鋭く示すからである。例えば《砂の川》の鞭打たれる女性たち、《深い心》の化粧する男性たちは、単なる社会文化的存在ではなく、身体の物質性に深く根ざした存在なのであり、また《至福の森》の、ベナレスの死にゆく人々は、彼らを取り巻く事物と同じように、破壊(死、腐敗)と生成の間に常にある、自らの身体の抜き差しならない物質性と直面している人々なのである。音声面でも、例えば《至福の森》における、川を行くボートのオールのきしむ音、木を切り倒す音、関節炎を患う人物が階段を下りながら呻く声といった、物や身体の物質性を伝える音声を、ガードナーはあえて音量を上げて強調する。ガードナーの映画は、ある意味でルーシュのそれに劣らず「映画=トランス」であると言えるかもしれない。ただ彼の場合は、人間の身体をも含めた「物質的なもの」によって「憑依」されるのである。
  • 冒頭で、我々はカメラによって「様々な意味の世界からただ一つの存在の世界へ」、「言葉の局部性の網の中でもがいている世界から、静かで澄みきった、そこで精神がくつろぐことができるような全体的世界へ」導かれるのだというフランシス・フラハティの言葉を引いた。いくぶん神秘的にさえ響くこの言葉が、しかし決して空虚なレトリックではないことは、もはや明らかだろう。イメージをイメージとして眺め、そこに身をおいて思考する時、確かに、かつての人類学者が考えた社会文化的全体とは異なった意味での、ある「全体」が垣間見えてくるのである。
  • 付け加えれば、ここで主張したいのはもちろん言葉による人類学の否定ではない。そうではなくて、「彼ら」と「我々」が不可避的に混じりあうような「イメージ」の次元を直視することにより、イメージと言葉の両方のレベルで、よりダイナミックな人類学――イメージの直接性を取り戻し、同時にそうしたイメージと言葉との間の交流を取り戻すような――を再創造できるのではないかという希望である。それが実践されるとき、マリノフスキー以来ずいぶんと離れてしまった人類学の中の「科学」と「芸術」も、再び和解に向かうのかもしれない。