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「ジャン・ルーシュの思想―「他者になる」ことの映画-人類学」 (2014)

2014/06/21 1:36 に Tadashi YANAI が投稿   [ 2014/06/21 1:48 に更新しました ]
  • (...) 確かにレヴィ=ストロースが言うように、現地での出来事の連鎖を全身で把握しようとする民族誌的フィールドワークという行為と、そこから空間的・時間的境界を持った映像記録を切り出そう行為の間には、何か本質的に矛盾するものがある。にもかかわらず、レヴィ=ストロースのブラジル調査の少し後、この二つの作業を両立させる不可能な作業にアフリカを舞台に決然と取り組みはじめたのが、ジャン・ルーシュ(一九一七-二〇〇四)であった。彼は一九四〇年代以降、西アフリカを毎年のように訪ね、人類学的調査と映画撮影を組み合わせた息の長い作業を続けながら、通常の人類学の実践とは異なる新しい知的領域を切り開いていった。もちろん彼も、映画カメラのファインダーを通して世界を見ることが、肉眼で世界を見るのと同じでないことを進んで認めるのだが、ルーシュにとってそれは世界を見失うことではなく、二つの世界――右目の世界と左目の世界――を同時に獲得することであった。彼によれば、カメラのファインダーを覗く右目は、現実の中に食い込んで、現実の中に潜んでいる「可能的な」もの、あるいは「想像的(イマジネール)な」ものの中に踏み込んでゆく。これに対してもう一方の目、つまり左目は、そこにある現実を「現実的な」もの、「実在的な」ものとして見続ける。現実性と可能性、実在的なものと想像的なものを同時に眺めることによって忽然と現出してくる、この目まいがするような世界――かつてセーレン・キルケゴールはこれを「生成の変化」と呼んだ――こそが、映像による人類学が切り開く新しい世界なのである 。
  • (...) ルーシュがこのような共同制作者たちに関していつも強調したのは、「友人(アミ)」、「仲間(コパン)」と呼ぶような関係であった。「友人(アミ)」、「仲間(コパン)」の関係を大事にし、それを深く生きることは、彼の人生の上での最も大事な指針であるとともに、彼にとって知的創造上の根本的な方法でもあったのであり、彼にとって「共同制作」とは、イデオロギーでも倫理でもなくて、「よりよく生きること」=「よりよく創造すること」を可能な限り重ね合わせようとすることの帰結でしかなかったのだと思われる。そうした「友人(アミ)」、「仲間(コパン)」との関係はしばしば、ニジェール人の友人たちの場合のように不平等な経済的関係と二重になったものだったが、しかしルーシュ的世界の内的論理に照らすなら、それは必ずしも決定的な要因ではなかっただろう。なぜなら、ルーシュにとって決定的に重要なのは、何かが創造される瞬間に皆が一緒に新たな存在として生成することであり、そして、そうした生成の存在に対する優越性に全てを賭けることだったからである。
  • (...) ルーシュが述べた言葉に、「他者の思考体系を理解しようとするために自分自身の思考体系を壊すこと、それが民族誌学だ」というものがあるが、まさにこの、他者との出会いが孕む知的危険をまるごと自己の中に迎え入れるという営みを彼は生涯にわたって実践したのだった。例えば、初期の民族誌映画《雨を降らせる人々》(1951)を見てみよう。ソンガイのある雨乞い儀礼の様子がルーシュの語りとともに一連の映像で示されたあと、最後に、空に黒雲がむくむくと現れ、風が吹き、雨が降りはじめる。ルーシュがここで、彼の「民族誌」映画を儀礼の映像で終わらせず、儀礼後の出来事の映像を加えたのは、彼にとって「人々がいかに雨乞い儀礼を経験したか」と同じくらい、「人々がいかにその後に降った雨を経験したか」が重要であったからだろう。… こうしたことは最近になって、メインストリームの人類学の中でも、(...) ようやくきちんと議論されるようになってきた。例えばマリソル・デ・ラ・カデナは、こうした議論の延長線上で、人類学者がフィールドで出会う現実とは、単なる「社会的」宇宙ではなく、むしろ「社会=自然的」宇宙であること、そして、そうした社会=自然的宇宙は人類学自体が背景とする西欧近代的な社会=自然的宇宙とは部分的にしか重ならないのであり、人類学者は、複数の社会=自然的宇宙が矛盾しつつ併存するような多元的宇宙(プルーリヴァース)――単一的宇宙(ユニヴァース)ではなくて――に向けて自らの思考を開いてゆくべきであること、を力強く論じている。しかし振り返ってみればルーシュは半世紀以上も前に、《雨を降らせる人々》の映像的モンタージュを通じて、ソンガイの人々の社会的宇宙だけを取り出すのではなく、儀礼とその後の降雨の両方(つまり社会=自然的宇宙)を合わせて提示し、西欧近代的な社会=自然的な単一的宇宙(ユニヴァース)を生きる観衆に、ある種の違和感――「そんなはずはない!」というような――とともに、多元的宇宙(プルーリヴァース)を経験させる装置を見事に作り上げていたのである。
  • (...) 例えばルーシュが一九六〇年代にコートジボワールで撮影した《陽気な若者たちのグンベ》(1965)を見てみよう。「グンベ」とは、故郷の村を離れて大都市アビジャンに移民した若者たちが助け合い、集まって一緒に音楽や踊りを楽しむための組織だが、二六分ほどのこの映画は、そうした一組織の旗揚げ集会で、役員の面々が紹介され、続いて組織のルールの各々を宣言される、という式次第に従って構成されている。一見無味乾燥なこの構成はしかし、役員各々の日常生活での姿が映像に組み込まれることで豊かで面白みのあるニュアンスが与えられ、次に組織の一連のルール――それは例えば「組織の歌手と打楽器奏者は毎月新しい曲を作らねばならない」といった興味深い規則なのだが――がそれを実践する人々の実際の活動の映像で肉付けされることで、人々の溢れるような生の喜びを表現する映画へと変容していく。グンベの若者たちはこの映像の中で、彼ら自身でありつつ彼ら以上の存在になる――それは確かに「他者になる」なかで「自分自身になる」ことでもある――のであり、そして、この若者たちの喜びに溢れる映像を見る我々もまた、その喜びを受け止めつつ、「他者になる」なかで「自分自身になる」ように促されるだろう。
  • (...) コッチアは、「イメージ」というものが、主体の空間でも客体の空間でもない、もう一つの空間の中に存在するのだと指摘する。例えば鏡に映ったイメージ――例えば鏡のなかの私の顔の像――は、それ自体は、何らかの行為の客体となることも主体となることもない(鏡を見て髭を剃ったり、あるいは化粧したりする時、その行為の客体は鏡の中の顔ではなく、本物の顔の方である)。同様に、私が目の前にある水が入ったコップを見た瞬間に頭の中に形成されるコップのイメージは、それ自体は、何らかの行為の主体ないし客体になることはない。しかし、それ自体何も為さないこのコップのイメージは、同時に、それなしには私が目の前の水の入ったコップを把握できず、コップの中の水を飲むことができないという意味で、一種の媒介者として、我々にとって決定的な役割を果たすものでもある。これらの例が明らかに示すように、我々の生は、このもう一つの空間で蠢く無数のイメージたちとの間断ない戯れの中で繰り広げられている。鏡の中の世界のように、それ自体何も為さず何の物音も発せずに我々に密かに寄り添う、このイメージの空間なしには、生は存在しえないのである(これは人間のみならず、動物にとってもそうである)。このように考えるなら、イメージとは、写真や映画のような映像の複製技術の有無とは関係なく、(人間および動物の)生にとって最初から本質的なものであったことがわかる。
  • (...) ルーシュは、シネマテーク・フランセーズ館長時代のインタビューで、シネマテークの創設者アンリ・ラングロワが「上映なくしては真の保存はありえない」、「映画が生き物である」という考えを持ったことに深い賛同を示している。映画の本来の働きは、フィルムの中に刻印されたイメージにあるのではなくて、それが人々の脳裏における「イメージの空間」の中で、他の様々なイメージと混じり合い、我々の新しい思考、新しい行動を生み出していく、生きたプロセスの中にあるものである。しかし他方で、その生きたプロセスは、フィルムに刻印されたイメージが存在しなければ動き出しえない。民族誌映画は、人々の生――その現実性と可能性の両方を含めた意味での――を、鏡のようにもう一つの空間の中に映し出すとともに、それをある永遠の時間性の中に置く手段なのであり、そしてそれを上映することによって(あるいは、すでに撮影の時点において人々の脳裏で「最初の映画」が繰り広げられることで)、人々のもう一つの空間を豊かにし、人々が「他者になる」ことによって「自分自身になる」ように促す手段なのである。
  • (...) ルーシュが映画制作において最も大事だと考えていたのは、それ自体で優れた作品を作り出すことではなくて、他の作品の制作を促すような刺激に満ちた作品(記憶、アーカイブ、博物館…)を作ることであった。そうやってイメージのもう一つの空間を無限に拡大していくことを夢見ていたからこそ、ルーシュは、民族誌映画作家の養成や、アフリカを始めとする発展途上国の映画作家の養成にも大きな力を注いだのであろう。それがルーシュの自身のもっとも野心的な、「死より強い夢」だったのではないだろうか。
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