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「人類学から映像-人類学(シネ・アンスロポロジー)へ」(2014)

2014/06/21 1:43 に Tadashi YANAI が投稿   [ 2014/06/21 1:47 に更新しました ]
  • (...) この民族誌的フィールドワークについてもう少し掘り下げておこう。さきにそれを「研究対象の社会に1~2年以上滞在し、そこでの人々の日常の中に入り込みながら、物事の自然な生起を重視しつつ行う、息の長い現地調査のやり方」であると述べたが、人類学者は一体なぜ、そんな風に、自分の人生の一部分をなすほど長い間現地に滞在することが必要だと考えるのだろうか。それには様々な理由があるが、一つの大きな理由は、研究対象の社会における人々の日常的行為や言葉遣い、人間関係のあり方、物事の連関といったものを、知的に理解するだけでなく、人類学者自身が(一定の範囲内で)身体的にも同化するためである。フィールドの状況をいわば体で知る中で、知的な理解も地に足が着いたものとなる。フランスの社会学者ガブリエル・タルドが一九世紀の末に提起した古い概念を用いるなら、民族誌的フィールドワークは「模倣」の問題と深く関わっている 。タルドの「模倣」とは、「無意識のうちに、抵抗を感じないまま他人の意見から影響を受けたり、あるいは他人の行為から暗示を受けたりすること」、つまり、社会生活において人間が相互に身体的・精神的な様々なレベルで無意識に影響を与え合う状況を捉える概念であって、彼はそれを「精神間で生じる写真撮影」という面白い比喩によっても説明している。フィールドに身を置いた人類学者は、そこでの人々の行為を「精神内で写真撮影」しつづけて、知らず知らず人々の思考や行動の仕方を自然なものとして受け止めるようになる。もちろんそれと並行して、調査対象となる人々の方もたえず人類学者を「精神内で写真撮影」し、その所作に次第に慣れていくというプロセスも存在している。だから、民族誌的フィールドワークとは、根底においては、抽象的な調査者というよりも具体的な個人――特定の身体的・精神的特徴(たとえば容貌や性格)を持ち、特定の文化を持った存在――としての人類学者が、調査対象の人々との出会いや交渉の中で営む、無意識的・身体的なレベルを含んだ相互的な作業にほかならない。
  • (...) 人類学とはほとんど無縁でありながら、共同作業というこの民族誌映像制作の本質を極めて早期に徹底的に掘り下げた人が、記念碑的な映画《極北のナヌーク》(1922)を制作したロバート・フラハティであった。人類学の中でさえ民族誌的フィールドワークの方法がまだ固まっていなかった時代に、フラハティはカナダのイヌイトの人々のもとに長期間滞在して人々と親交を結び、徹底的な共同作業の中でこの作品を作ることになる。フラハティがこの作品のストーリーを物語るために(おそらくイヌイトたちと一緒に大笑いしつつ)様々なトリックを使って撮影したことを、後年の論者の一部はしばしば激しく批判してきたが、そうした論者はある非常に大事なことを見逃しているのではないだろうか。それは、《極北のナヌーク》ほど人々がその制作に献身的に参与して作られ、そして映像の中に人々がまるごと入っているような作品は、(おそらくジャン・ルーシュの諸作品を除けば)今日に至るまで稀だということである 。《極北のナヌーク》は疑いなく、フラハティの映画であると同時にナヌークたちの映画である。ここでより注意深く議論を組み立てるなら、この「の」という所有を表わす助詞は、近代市民社会の所有権の問題に還元するのではなく、所有という事態のもっと直感的で、かつ根源的な意味において理解されるべきものである 。我々は何かを成し遂げたとき――例えば山の頂上に登ったとき――その成し遂げたことを「自分のもの」として誇りに思うだろう。この「自分のもの」という意識は、本来的には「所有権」とは無縁の思考の時空に属すものである(ジョン・ロックに由来する所有権の概念を一瞬間忘れさえすればそのことはすぐ判る)。《極北のナヌーク》は、正確にこの意味において、フラハティとナヌークたちが共に「自分のもの」とした映画、つまり、共有した映画なのだ。もちろん、《極北のナヌーク》という完成作品(=フィルム)が映画産業の中で流通したとき、それは所有権の世界の中にあったわけだし、その数年前に、フラハティがナヌークたちのもとに運んでいった未使用フィルム自体も、所有権の世界から出てきたものである。しかしそのことは、極北の地でフラハティとナヌークたちが映画制作を共有したこと――さらに《極北のナヌーク》を見る人々がそこから何かを受け取ること――とは別次元のことである。
  • (...) ここで強調したいのはむしろ、文字言語による民族誌と民族誌映像を対立させないこと、マリノフスキがその民族誌的著作で、彼の時代の技術的可能性を最大限に駆使して達成したことを改めて見習いながら、民族誌と民族誌映像とを積極的に組み合わせていくことの必要性である。この点で、映像人類学が英語圏でvisual anthropology(視覚的人類学)と呼ばれてきたのは、必ずしも幸いなことではなかったように思われる。なぜなら、民族誌映像はつねに文字(キャプション、字幕、パンフレットなど)や語り(作品内のヴォイスオーヴァーや会話のほか、上映前後の説明やコメントなど)の言語的要素、さらには環境音や音楽などの聴覚的要素と組み合わせて受容されてきたのであり、それは決して視覚のみに関わるものではなかったからである。これに対して、ルーシュが考案した独自の言葉は「映画=人類学ciné-anthropologie」というものであり、彼はさらに、それが現地の人々とともに共有されるものである点を強調して、「共有された映画=人類学ciné-anthropologie partagée」とも言っている。我々はこのルーシュの言葉を引き継ぎつつ、そこに若干新たなニュアンスを付け加えて、「映像=人類学(シネ=アンスロポロジー)」という言葉を使うことができるかもしれない 。
  • (...) 実はアマチュア主義は、常に人類学自体の特徴であったとも言えるのではないだろうか。人類学者は、少なくともその最も創造的な瞬間においては、○○学のエキスパートとしてフィールドに向かうのではなくて、むしろ逆にフィールドの現実を自らの中に受け止め、そこに内在する論理からできる限りのことを吸収しつつ、自らの研究を進めてきた。様々な学問分野の概念や理論や研究法を、ちょうどカメラの説明書を読んだり短期講習を受けたりするようにして手探りで学び、それらをフィールドの現実に突き合わせて検討し、そうやって自分のものにした様々な要素を自由に組み合わせながら、概念の新たな適用、理論の改変、方法の開拓を試みていくのである 。急いで付け加えれば、ルーシュの映画の場合と同様に、こうした人類学のアマチュア主義的な学問的営みがプロフェッショナルな厳密さを欠くという意味では全くない。ある意味で、他の人文社会科学と同じかそれ以上の厳密さは、人類学者が対象とするフィールドの現実性に内在する論理によって求められてくる。再び『西太平洋の遠洋航海者』の古典的な例を引くなら、そこにおけるマリノフスキのクラ交換の理論の厳密性は、トロブリアンド諸島とその周辺の人々の実践に内在する論理をマリノフスキが適切な形で捉え、それを彼自身の概念や理論と突き合わせて、適切な形で延長していったことに因っているだろう。この意味で、人類学のアマチュア主義は、研究対象の人々の生に内在する、彼ら自身の実践知により添い、それを別の言葉に直し、別の場所に運び、別の使い方を生み出すための媒介物なのだ。
  • (...) 世界の無数の場所で回っている監視カメラのビデオ映像を思い起こせばすぐに分かるように、明らかに映像制作は――民族誌的フィールドワークも同様だと思われるが――ただそれを行うというだけでは自らの意義を正当化できない行為となった。では、そうした映像制作において拠り所になりうるものは一体何だろうか。この問題に対する答えは、主観主義(制作者の主観的世界に大きく傾いた映像制作)と客観主義(系統的な形で徹底的に集められたデータベースとしての映像)の両極の間で、多様なものでありうるし、あまり規範的な答えを与えるのは望ましくもないだろう。しかし、それをことわった上で言えば、撮影する側と撮影される側が、何らかの意味でともに何かを作っていくという関係を営む中で映像制作が行われることが、多くの場合において、やはり重要なポイントになるのではないだろうか――少なくともそれが、人類学はすなわち映像=人類学(シネ=アンスロポロジー)であり、映像=人類学(シネ=アンスロポロジー)はすなわち「共有された映像=人類学(シネ=アンスロポロジー)」であるという、ここでの議論の延長線上に垣間見える、一つの見通しである。
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